のどけからまし



ベルファスト 3


ちょっとヘビーな話

いわゆる現在IRAと呼ばれるプロビジョナルIRAが、オフィシャルIRAから分裂し、 そのテロ活動を激しくしていったのは69年です。 その他にも、過激な活動をする組織はいくつかあり、 カトリック同士での抗争もあり、プロテスタント側もそれは同様ですが。 抗争の歴史、詳細については、 資料等も色々公開されていますし、長くなるのでここでは省きます。  

80年代に入り、鉄の心臓を持つと言われるサッチャーが政権をとると、英国政府は、態度を強固させ、 再び、抗争は激しくなりました。

テロがある度、アイリッシュだというだけで、無実の人々が投獄され、IRAが誤認逮捕を知らせるため捕まってない実行犯の名を公表する程だったそうです。 

それまでは、抗争と無関係だったにもかかわらず逮捕投獄されたアイリッシュの、約8割は、英国政府のやり方に怒りを覚え、IRAに入ったそうです。

80年代にIRA の活動が盛りかえしたのは、そんな理由もあってのことです。 中には、獄中で抗議のハンガーストライキを始めた人たちもいます。 彼等がハンガーストライキで命を落とそうとも、サッチャーは耳を貸さず、彼女のその態度は、火に油を注いだだけでした。


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 奴の父は、犬のブリーダーや調教をやる傍ら、ウエストベルファスト(カトリック居住地)に小さな店、食品やタバコ、お酒や、おむつといった雑貨等、今でいうコンビに見たいのものを、やっていました。 

奴がまだ十代の頃、友人数人で、店番をしていた時です。 突然、数人のイギリス兵が押し入ってきて、奴とその友人達に向かって銃を突き付け、殴る蹴るの行為を働いたそうです。 頭に銃を突き付けられるまで、彼等が店に入ってきたのも気がつかなかったそうです。 手を頭の後ろで組み、壁に向かって立たされたそうです。 一言言葉を発すると、殴られたり蹴られたりしたそうです。 その時は、通りから、「ここはもう引き上げるぞ」という兵隊達の上官の声で、解放されたそうです。 


そんな時代ですから、若い男がウエストベルファストに住んでいて、何処の組織にも入っていないというのはそれなりのプレッシャーのあることでした。 そんなある日、彼の家に3人の友人が尋ねて来ました。 用件は「俺達はIRAに入った。お前も一緒に入ろう。」という勧誘でした。 血の気が多く、それまでにも散々プロテスタント相手に通りで喧嘩し、病院送りにしたり、されたりしていた奴ですが、さすがに、その誘いには、悩みました。 フリーダムファイターと自称しようとも、テロリストはテロリストです。 

たとえどんな大義名分があろうと、人を殺すのは、間違っていると思いつつも、仲間が殺されるのを黙って観ているのはもっと嫌だったからです。 しかし、それより早かったのは、母親の決断です。 奴の様子の変化に気付いた彼女は、友人達と奴の話を聞いたわけでもないのに、事情を察し、その友人達が奴を訪ねてから数日後には、奴をマンチェスターにいる親戚の所に送ってしまいました。

彼女の決断は正しかったと言えるでしょう。 その友人の内一人は英兵に撃たれ、更に、建物から投げ捨てられ命を落としたそうです。 別の友人もやはり撃たれ、軍の病院に収容中に脱走し、南の共和国、経由でアメリカに逃げたそうです。 彼の名は英国、米国間の重犯罪者引き渡しリストに載っているそうです。

奴はその後、逃亡中のその友人がベルファストに潜り込んだ時に再会したそうですが、なんでも、武器をアメリカから密輸してるとか、まるでブラッドピット。(失礼、最近デビルを見たので。ハリソンフォードとブラピが共演してたやつ。そう言えば私がベルファストにいた時公開されていたなあ。) もう一人の友人の消息は知らないそうですが。 

「もし、マンチェスターに行かされなかったら、IRAに入っていたと思う?」と奴に質問したら、やつは暫く考えてからこう答えました。「多分、入っていたと思う。」と。

ここにハンガーストライキの後、その命を落とした人の日記があります。興味のある方はお読み下さい。


しつこいようですが、この反実仮想は、実在の人物、団体等とは一切関係ありません。

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