のどけからまし
ベルファスト 2
ちょっとヘビーな話
シースファイヤー以降、「平和、あるいは和平の為」といったカトリックとプロテスタントの共同主催によるパーーティーやチャリティーライブで、演奏する事も何度かありました。
そんな平穏な日々が続いていた、ある冬の日
さらなる「ピーストーク」(英国政府とシンフェイン党の和平へ向けての話し合い)を翌日にひかえていた時のことです。
奴が当時レギュラー(週3回)でプレイしていたパブは、シティーセンターのフラットとは、反対側オペラ座のある通りの、ホテルヨーロッパ(ベルファストで一番スノッブ、勿論、爆弾を仕掛けられた事あり。)の正面にあり、フラットまでは、シティーセンターを突っ切れば、徒歩十数分程の距離。
その日のギグも終わり、タクシーが捕まらず、仕方なく、てくてくとシティーセンタを歩いていました。
ただその夜は、普段見かけるドラッグディーラー(未払いの薬代さえなければ彼等は無害な人種です?)の姿はなく、 何やら叫びながら暴走ぎみ(手当りしだいの物を蹴っている)の酔っ払い?(べルファストでは、珍しい)を避けつつ、フラットに向かいました。
メインストリートから、横道に入り、フラットのある通りに差しかかた時です。 パトカーと救急車と興奮ぎみの人だかりで、フラットの前はいっぱいです。
ここで、「交通事故?」と思うのは、北アイルランド以外の人間です。 人々が言うには、フラットの前のセント アン カテドラル(プロテスタントの大聖堂)脇の路地にあるオールナイトディスコで、銃撃戦のようなものがあり、 誰かが撃たれたらしいということ。
何とか人込をかき分け、部屋にたどり着きました。
部屋に戻ると、奴は、ベルファスト市外に住んでいる弟に電話をしました。 こういった時のアイリッシュの人たちは本当にマメに連絡を取り合います。 奴の弟は、彼の友人がそのディスコで働いているとかで、その知らせにかなり動揺したらしく 「なんてこった!俺の友達がそこで働いているんだ!なんてこった!」
と、罵ってから、折り返し連絡するといって、電話を切ったそうです。
それから、、数十分後、彼から電話があり、やっぱり、撃たれたのは、彼の友人だったそうです。
まだ28才だった彼には2人の幼い子供がいました。 そして彼の妻は、英国議会のMPでもあるシンフェイン党党首の姪です。 彼の父もシンフェイン党員であり、彼自身も将来を期待された若い活動家だったそうです。
若い父親が殺された。 やり切れない思いです。 たとえそれが事故であってもです。
しかも今回のことは、事故ではなく、「ピーストーク」を翌日に控えての彼を狙った、暗殺に近いものです。 遺族や友人の気持ちを考えると言葉もでてきません。
私に言えたのは「どうして?」「何故?」だけです。 勿論、答えなんてありません。 帰ってくる言葉と言えば、「狂っている。」「馬鹿げている。」といったうめき声だけです。
始めは、ショック、怒り、悲しみ、そして、最後に人々を飲み込んだのは、不安と、恐怖です。
ベルファストの政治的な事情は、分からない私ですが、彼等の恐怖、緊張感だけはその後の彼等の反応から、何もいわれずにも分かりました。
再び、ベルファストの街はゴーストタウンに戻ってしましました。 その事件を切っ掛けに、「抗争」が再発したからです。 用もないのに、街をうろつこうなんて人はいません。 市内のパブは全て営業を止めてしまいました。 初めてベルファストに来た時は、何も知らずに、オレンジマンパレードはただのお祭りといった認識しかなく、まるで戒厳令下のようだと思いつつも、ゴーストタウンとかしたシティーセンターで開いているパブはないかと歩き回った私ですが、今回の人々の緊張はその時をはるかに上回ります。
数日後、友人の家からタクシーで帰宅しようとした時です。 フラットの玄関の前に、二人のいかにもタフな感じの男が立っています。 建物の前で、車を停めたタクシーの運転手も、二人の男のそぶりを見て「危ないから車から降りるな」と言います。 男達の方も、こちらが彼等に危害を加えにきたとおもったのか、 車から目を放しません。
この状況下で、日が暮れてから外出するような一般の人はいません。 そんな中で、街をうろついている人間は、自らトラブルを引き起こす類いの人ぐらいです。(間抜けな観光客を除いて?) タクシーの運転手に、もし何かあれば、そのまま車に戻って、走り去れるように、私達が建物の中に無事は入れるまで待機していて、言って車を降りました。
その時は、無事部屋に帰れたのですが、その後、フラットのある通りそのものを、プロテスタント達が封鎖して建物に近付く事すら出来ず、市外に住む奴の妹の家に避難することになってしまいました。
その事件後、ベルファストでは更に、多くの人の命が奪われ、「ピーストーク」が、再開するまでには暫く待たなくてはなりませんでした。98年始めのことです。
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